石川さんへ
2010年03月09日
先週の土曜日は、まちづくりサミット上町學舎2010が開催されました。
これまで鹿児島駅周辺まちづくりワークショップ
そして、ワーキンググループがすすめてきた まちづくりガイドライン の完成という
ひとつの大きな区切りを迎え、その成果を発表する目的をもったものです。
まちづくりを ハードとソフトの両面からアプローチするなら
このワークショップは、ソフトの面
特に人材の育成と、そのネットワーク作りが大きな目標であったと思います。
その中で、様々なイベントをメンバーで手探りで実施しながら
より具体化するための ガイドラインを作成してきました。
完成した いまの気持ち
なんとなく ほっとしています。
昼間 通常の仕事を終えてから
時には、2日連続といったこともあったし
他の活動を絡めると、1週間すべて会議で埋まった週もありました。
でも、今年度の初めから
このガイドラインに関する活動を最優先に考えていたので
無事完成して、本当にホッとしています。
そして できあがったこのガイドラインを 今 誰に一番見せたいのかを考えました。
これから、このまちで暮らす人というのは、一番まじめな回答だと思いますが
家族にも
子供達の友達にも
友人にも
会社の同僚にも
支えてくれた多くの人たちにも
当然ですが みせたいです。
でも、いま一番見せたいのが 石川さん。
大竜町内会でも、ワークショップの景観班でも、別な地域ワークショップでも、そして上町維新でも
精力的に 頑張っていました。
ほんとうに、一生懸命がんばっていました。
怒られる事も多かったけど
それは、本当に この街のことを考えているからだったし
本当に その人のことを考えているからだと思います。
某ホテルの支配人として活躍して
現役を退いてから、少しでもまちに恩返しがしたいとワークショップをはじめて
毎週日曜日には 南洲公園でラジオ体操を地域の人たちを巻き込んで実施して
いつも、先頭にたって頑張っていました。
こんな武勇伝も聞きました。
その昔、友人らと飲みに行こうと 焼酎瓶を抱えて
電車で 市立病院方面へ行き
電停で降りて 青信号の横断歩道を渡ろうとしたら
車にはねられたそうです。
結構ひどい怪我をしたらしいのですが
まだ飲んでいなかった焼酎瓶が割れて
一面 焼酎の匂いになってしまって
それをみた 警察の方が よっぱらいが横断歩道に飛び出したと思ったらしく
それで、自分は瀕死の状態のまま
「まだ、飲んじょらん」と大げんかをしてしまったとか。
正義感、責任感が強くて
自分は直接ガイドラインの編集会議(ワーキンググループ)には入らなかったけど
どうしても気になったみたいで
初回の会議は、自分も聞きに来ると言って
作業を見に来るほど熱心でした。
そんな石川さんが
ある日から突然、連絡が取れにくくなって
作業にも、参加しなくなってしまいました。
最後まで、原因(病名)を口にすることはなかったけど
家族がいる大分へ突然の引っ越し
しばらくして、手紙が届きました
今、入院療養してますが、元気になったら
ぜひこちら(大分)へ遊びに来て下さい。
こちらに来たら、是非声を掛けてくださいとのハガキ
そのハガキを受け取ってから数日後
返事を書こうと思ってたうちに
悲報が届きました。
驚きました。
あんなにパワーがあったのに。。。
悲しいというより、あっけにとられたような感覚。
石川さんからは、「あんたら、間違がちょーよ。」とよく言われたけど
ほんと、間違いだと思いました。
厳しいながらも
常に全体の 和 を重んじてて
一人でも、いなくなると
「なんで、○○はおらんのかいの?」
「さぁ?」って答えると
「まちがちょーよ。ちゃんと連絡とったんね。」
と すぐさま電話。
そんな自分が 一番先に いなくなってしまうんだから。
ほんとに、ほんとに困ったものです。
ガイドラインができあがって
写真をみてみると
一番よく写真にでてきます。
それもそのはず
活動のほとんどに参加して
いつも 先頭にたってたんですからね。
完成した今、残念ながら 一緒にお披露目はできなかったけど
この ガイドラインの中に
そして、メンバーの中に いつまでも
石川さんの思いは残っています。
ちゃんと、つくりあげましたからね。
そして、ずっと繋いでいきますからね。
とりあえず、みてください。
そして、ご安心を。。。
これまで鹿児島駅周辺まちづくりワークショップ
そして、ワーキンググループがすすめてきた まちづくりガイドライン の完成という
ひとつの大きな区切りを迎え、その成果を発表する目的をもったものです。
まちづくりを ハードとソフトの両面からアプローチするなら
このワークショップは、ソフトの面
特に人材の育成と、そのネットワーク作りが大きな目標であったと思います。
その中で、様々なイベントをメンバーで手探りで実施しながら
より具体化するための ガイドラインを作成してきました。
完成した いまの気持ち
なんとなく ほっとしています。
昼間 通常の仕事を終えてから
時には、2日連続といったこともあったし
他の活動を絡めると、1週間すべて会議で埋まった週もありました。
でも、今年度の初めから
このガイドラインに関する活動を最優先に考えていたので
無事完成して、本当にホッとしています。
そして できあがったこのガイドラインを 今 誰に一番見せたいのかを考えました。
これから、このまちで暮らす人というのは、一番まじめな回答だと思いますが
家族にも
子供達の友達にも
友人にも
会社の同僚にも
支えてくれた多くの人たちにも
当然ですが みせたいです。
でも、いま一番見せたいのが 石川さん。
大竜町内会でも、ワークショップの景観班でも、別な地域ワークショップでも、そして上町維新でも
精力的に 頑張っていました。
ほんとうに、一生懸命がんばっていました。
怒られる事も多かったけど
それは、本当に この街のことを考えているからだったし
本当に その人のことを考えているからだと思います。
某ホテルの支配人として活躍して
現役を退いてから、少しでもまちに恩返しがしたいとワークショップをはじめて
毎週日曜日には 南洲公園でラジオ体操を地域の人たちを巻き込んで実施して
いつも、先頭にたって頑張っていました。
こんな武勇伝も聞きました。
その昔、友人らと飲みに行こうと 焼酎瓶を抱えて
電車で 市立病院方面へ行き
電停で降りて 青信号の横断歩道を渡ろうとしたら
車にはねられたそうです。
結構ひどい怪我をしたらしいのですが
まだ飲んでいなかった焼酎瓶が割れて
一面 焼酎の匂いになってしまって
それをみた 警察の方が よっぱらいが横断歩道に飛び出したと思ったらしく
それで、自分は瀕死の状態のまま
「まだ、飲んじょらん」と大げんかをしてしまったとか。
正義感、責任感が強くて
自分は直接ガイドラインの編集会議(ワーキンググループ)には入らなかったけど
どうしても気になったみたいで
初回の会議は、自分も聞きに来ると言って
作業を見に来るほど熱心でした。
そんな石川さんが
ある日から突然、連絡が取れにくくなって
作業にも、参加しなくなってしまいました。
最後まで、原因(病名)を口にすることはなかったけど
家族がいる大分へ突然の引っ越し
しばらくして、手紙が届きました
今、入院療養してますが、元気になったら
ぜひこちら(大分)へ遊びに来て下さい。
こちらに来たら、是非声を掛けてくださいとのハガキ
そのハガキを受け取ってから数日後
返事を書こうと思ってたうちに
悲報が届きました。
驚きました。
あんなにパワーがあったのに。。。
悲しいというより、あっけにとられたような感覚。
石川さんからは、「あんたら、間違がちょーよ。」とよく言われたけど
ほんと、間違いだと思いました。
厳しいながらも
常に全体の 和 を重んじてて
一人でも、いなくなると
「なんで、○○はおらんのかいの?」
「さぁ?」って答えると
「まちがちょーよ。ちゃんと連絡とったんね。」
と すぐさま電話。
そんな自分が 一番先に いなくなってしまうんだから。
ほんとに、ほんとに困ったものです。
ガイドラインができあがって
写真をみてみると
一番よく写真にでてきます。
それもそのはず
活動のほとんどに参加して
いつも 先頭にたってたんですからね。
完成した今、残念ながら 一緒にお披露目はできなかったけど
この ガイドラインの中に
そして、メンバーの中に いつまでも
石川さんの思いは残っています。
ちゃんと、つくりあげましたからね。
そして、ずっと繋いでいきますからね。
とりあえず、みてください。
そして、ご安心を。。。
この記事へのコメント
一番怒られていた私で、怒られた時はホントに、気分悪くて、イヤな気持ちになりましたが、これまでの私達の活動の記録を振り返った時、
いつでも、どこでも石川さんがいますよね~~~。
井戸端サロンのバザー売りで「安いよ~~、安いよ~~」と言っていた石川さんの声は忘れることができません。
怒られても、一番忘れることができない方・・・・・もう少し一緒にいたかったなぁ~~。
いつでも、どこでも石川さんがいますよね~~~。
井戸端サロンのバザー売りで「安いよ~~、安いよ~~」と言っていた石川さんの声は忘れることができません。
怒られても、一番忘れることができない方・・・・・もう少し一緒にいたかったなぁ~~。
Posted by harumi at 2010年03月11日 09:07
>harumiさん
たしかに、一番おこられてた(笑)
いつも真面目で、一生懸命
そして、妥協しない方でしたもんね。
ビジネスマンとしても、尊敬できる方でした。
いまも一緒にいられたら、なんていわれるんだろうなぁ。。。って思います。
たしかに、一番おこられてた(笑)
いつも真面目で、一生懸命
そして、妥協しない方でしたもんね。
ビジネスマンとしても、尊敬できる方でした。
いまも一緒にいられたら、なんていわれるんだろうなぁ。。。って思います。
Posted by はるり at 2010年03月11日 09:23