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小さな幸せを集める。
2019年09月30日
小さな幸せを集める
ほどほどの幸せでいい
コツコツと集める
集めた幸せは
パーッと使う
ふとっぱらに使う
幸せにしばられないように
幸せにふりまわされないように
なんかうまく言えないけど
幸せすぎて怖いと言うくらいなら
パーッと使おう
小さな幸せは
そこかしこに転がってる
また集めればいい⋯
earth music&ecology2017秋
「幸せについて~校舎の裏~」篇
https://youtu.be/JPEqlELe3mc
ほどほどの幸せでいい
コツコツと集める
集めた幸せは
パーッと使う
ふとっぱらに使う
幸せにしばられないように
幸せにふりまわされないように
なんかうまく言えないけど
幸せすぎて怖いと言うくらいなら
パーッと使おう
小さな幸せは
そこかしこに転がってる
また集めればいい⋯
earth music&ecology2017秋
「幸せについて~校舎の裏~」篇
https://youtu.be/JPEqlELe3mc
あなたがワガママを言うと、みんなが幸せになる。
2019年09月27日
“以前の職場にも、ガンで今年いっぱいもつかどうか、という上司がいた。
現場を仕切る剛胆な人で、いつも大口を開けてガハガハと笑い、いつも夕方になると日本酒を一本買って、鼻歌を唄いながら独りだけ先に帰ってしまうような人だった。
あの人が今どうなっているのかわからないけど、あの人もお義父ちゃんも、自分の死が見えてから、むしろ幸せそうに毎日を暮らしているように見えた。
それまでよりも自分の好きなことをやって、小さなワガママを言うようになった。
そして、それまでよりもずっと幸せそうな顔をするようになった。
そうなると、まわりの人も、結果的にハッピーになる。
自分の近くにいる人が好きなことをやって、幸せに笑っている、というのは、間違いなくまわりを幸せにする。
「明日死ぬかもしれないから、後悔しないように生きよう」とか言われても、リアルに想像できないかもしれない。
だから代わりに「明日死ぬかもしれないから、昨日よりワガママを言ってみよう」と考えるといいかもしれない。
僕の家内も、アレがほしいとかどこへ行きたいとか、そういうことを一切言わない人だったけど、最近すこしずつ、自分の欲望を表してくれるようになった。
そうすると、僕が幸せになるのだ。
喜ぶ彼女を見て、喜ぶ僕を見て、子どもたちも喜ぶ。
ワガママを言うと、みんなが幸せになるんだ。
だからあなたも、家族や友人、まわりのみんなを幸せにするために、少しだけワガママを言ってみたらどうでしょうか。
逆にいつもワガママばかり言っている人は、そのワガママをいつもきいてくれる人のワガママを、今日はきいてあげませんか。
そしたら多分、あなたも、そしてまわりの人も、すこしだけハッピーになれると思います。”
— あなたがワガママを言うと、みんなが幸せになる。
現場を仕切る剛胆な人で、いつも大口を開けてガハガハと笑い、いつも夕方になると日本酒を一本買って、鼻歌を唄いながら独りだけ先に帰ってしまうような人だった。
あの人が今どうなっているのかわからないけど、あの人もお義父ちゃんも、自分の死が見えてから、むしろ幸せそうに毎日を暮らしているように見えた。
それまでよりも自分の好きなことをやって、小さなワガママを言うようになった。
そして、それまでよりもずっと幸せそうな顔をするようになった。
そうなると、まわりの人も、結果的にハッピーになる。
自分の近くにいる人が好きなことをやって、幸せに笑っている、というのは、間違いなくまわりを幸せにする。
「明日死ぬかもしれないから、後悔しないように生きよう」とか言われても、リアルに想像できないかもしれない。
だから代わりに「明日死ぬかもしれないから、昨日よりワガママを言ってみよう」と考えるといいかもしれない。
僕の家内も、アレがほしいとかどこへ行きたいとか、そういうことを一切言わない人だったけど、最近すこしずつ、自分の欲望を表してくれるようになった。
そうすると、僕が幸せになるのだ。
喜ぶ彼女を見て、喜ぶ僕を見て、子どもたちも喜ぶ。
ワガママを言うと、みんなが幸せになるんだ。
だからあなたも、家族や友人、まわりのみんなを幸せにするために、少しだけワガママを言ってみたらどうでしょうか。
逆にいつもワガママばかり言っている人は、そのワガママをいつもきいてくれる人のワガママを、今日はきいてあげませんか。
そしたら多分、あなたも、そしてまわりの人も、すこしだけハッピーになれると思います。”
— あなたがワガママを言うと、みんなが幸せになる。
行きつけのバー。
2019年09月21日
“「行きつけのバー」
男なら誰しもが憧れるだろうが、そう簡単には手に入らないソレ。
僕が手に入れたきっかけは、なかなかに面白いものだった。
大学卒業後、某メーカーの営業職に就職した僕だが、とある日の外回りで危機的な状況に陥っていた。
「ヤバイ……。う○こしたい……下痢っぽい……」
夕方を過ぎ、最後の訪問先に向かう寂れた商店街で、僕は冷や汗をかきながらトイレを探していた。
しかし周囲はシャッターの閉じた店ばかり。
トイレを貸してくれそうな店はない。
(こうなったら路地裏でぶっ放すしかないか……)
そう思った時に目の前で店のシャッターを開ける、年の頃60位だろうか、自分の父親と同じくらいの男性がいた。
僕はなりふり構わず、その男性に「すみません。お腹を下してしまって、トイレを貸してはいただけないでしょうか」と、持ちうる限り最大限の丁寧さでお願いした。
すると男性は、「いいけど、なんか飲んでって。ここ、バーだから」と、真顔で答えた。
(この人、腹を下してる人間に何を言ってるんだ……)内心、おかしな人に当たってしまった、と思いつつも
「しかし、この後まだ営業先に行かなくてはいけないので、お飲み物の代金をお支払する形ではダメでしょうか」と提案すると
「じゃあ帰りに飲みに来て。
ここはバーで、トイレじゃないんだ」男性はそういうと僕を店内に手招きした。
(そうなると、僕は帰りにここに寄らずに、そのまま帰ることもできるのに、なんだかとても変わった人だなぁ)
そう思いつつ、トイレを済ませると
「では、帰りに寄らせてもらいます」そう言って僕は店を出た。
訪問先の滞在時間が延びたこともあり、約束は覚えていたけれど面倒だから帰ろうかなとも思った。
けれど、ちょっと様子を見てみよう、そんな気になって、僕は帰りにその店の前を通った。
ガラスがはめられたドアをそっと覗くと、夕方の男性が一人でカウンター内でタバコを吸っていた。
やはりというか、当然だが、この店のマスターだろう。
正直に言うと、その姿があまりにもカッコよく、様になっていて、僕は無意識の内にドアを開けていた。
マスターは僕を一瞥すると
「あんた、変わってるね」と無表情に言った。
(それはあなたの方では……)と思っていると、マスターはグラスを出しながら続けた。
「寄らずに帰ろうと思えば帰れた。
けれどあんたはここに来た。あんたいい人だ。
今日は店を休もうと思ったけど、開けてよかったよ」
そういって丸氷を入れたグラスにお酒を注いだ。
「あんたがこの店で最初に飲む酒は、これが良い」
目の前に琥珀色より少しばかり深く落ち着いた、何とも美しい色のお酒が出された。
当時、酒を全く知らなかった僕は、とりあえず値段が怖くなり、「お幾らですか?」と財布を出しながら聞いた。
マスターは「俺は一杯飲んでけ、と言っただけで、金をとるとは言ってないこの一杯はプレゼントだ」と優しく笑った。
その後、僕はこのバーに足しげく通い、色々な人と知り合った。マスターから見ればまだまだヒヨっ子だが、大人になり、結婚もし、いつか子供とこのバーに行きたいと思っていた。
そんな矢先、マスターが亡くなった。
いつだっただろうか、常連達でしっぽり飲んでいた夜、マスターが「なんだかインターネットに店が載ったみたいで、『落ち着いたバーですね。僕好きです』みたいな若造が増えた俺はそういう客は好かないんだ。機械による巡り合わせは好かないんだ」と、愚痴っぽく言っていたことがあった。
僕も含め、何かしらおかしな巡り合わせでこの店とマスターと縁が出来た常連達は、必死にネットを探し、掲載元に記事を取り下げるように頼んだりした。
けれど、大半のところは「言論(表現)の自由だ」と取り合ってくれなかった。
そんな中、マスターが暫く店を休むと言った。
今思えば、あの頃から体調が悪かったのかも知れない。
そのまま復帰の知らせのないまま、常連仲間からマスターの訃報を聞いた。
告別式はマスターらしい、参列者の少ないものだった。
会場には見覚えのない女性が2人いて、話を聞くと離婚した元奥様と娘さんだった。
マスターは自分の話を全くしない人で、「俺は既に天涯孤独だ」と言っていたので、我々はそれが本当だとてっきり信じていた。
火葬の待ち時間、マスターの元奥さんと娘さんが「これを渡すように、と言われました」と僕に1本の酒を渡してきた。
何でも亡くなる少し前に、マスターが2人に、僕に渡すように言付けたそうだ。
具体的な商品名は控えるが、某日本メーカーのウイスキー(50年)と言えば、分かる人にはその価値がわかると思う。
何故こんなものを僕に、と混乱していると、娘さんがバーで使われていた伝票を渡してきた。
裏には走り書きの文字で、「あの日のウイスキー。あんたにあげる」そう書いてあった。
ボトルはあの日僕が飲んだ一杯から、減っていなかった。
僕は涙が止まらず、大人げなくその場に膝をついて嗚咽した。”
— 「行きつけのバー」のススメ-
男なら誰しもが憧れるだろうが、そう簡単には手に入らないソレ。
僕が手に入れたきっかけは、なかなかに面白いものだった。
大学卒業後、某メーカーの営業職に就職した僕だが、とある日の外回りで危機的な状況に陥っていた。
「ヤバイ……。う○こしたい……下痢っぽい……」
夕方を過ぎ、最後の訪問先に向かう寂れた商店街で、僕は冷や汗をかきながらトイレを探していた。
しかし周囲はシャッターの閉じた店ばかり。
トイレを貸してくれそうな店はない。
(こうなったら路地裏でぶっ放すしかないか……)
そう思った時に目の前で店のシャッターを開ける、年の頃60位だろうか、自分の父親と同じくらいの男性がいた。
僕はなりふり構わず、その男性に「すみません。お腹を下してしまって、トイレを貸してはいただけないでしょうか」と、持ちうる限り最大限の丁寧さでお願いした。
すると男性は、「いいけど、なんか飲んでって。ここ、バーだから」と、真顔で答えた。
(この人、腹を下してる人間に何を言ってるんだ……)内心、おかしな人に当たってしまった、と思いつつも
「しかし、この後まだ営業先に行かなくてはいけないので、お飲み物の代金をお支払する形ではダメでしょうか」と提案すると
「じゃあ帰りに飲みに来て。
ここはバーで、トイレじゃないんだ」男性はそういうと僕を店内に手招きした。
(そうなると、僕は帰りにここに寄らずに、そのまま帰ることもできるのに、なんだかとても変わった人だなぁ)
そう思いつつ、トイレを済ませると
「では、帰りに寄らせてもらいます」そう言って僕は店を出た。
訪問先の滞在時間が延びたこともあり、約束は覚えていたけれど面倒だから帰ろうかなとも思った。
けれど、ちょっと様子を見てみよう、そんな気になって、僕は帰りにその店の前を通った。
ガラスがはめられたドアをそっと覗くと、夕方の男性が一人でカウンター内でタバコを吸っていた。
やはりというか、当然だが、この店のマスターだろう。
正直に言うと、その姿があまりにもカッコよく、様になっていて、僕は無意識の内にドアを開けていた。
マスターは僕を一瞥すると
「あんた、変わってるね」と無表情に言った。
(それはあなたの方では……)と思っていると、マスターはグラスを出しながら続けた。
「寄らずに帰ろうと思えば帰れた。
けれどあんたはここに来た。あんたいい人だ。
今日は店を休もうと思ったけど、開けてよかったよ」
そういって丸氷を入れたグラスにお酒を注いだ。
「あんたがこの店で最初に飲む酒は、これが良い」
目の前に琥珀色より少しばかり深く落ち着いた、何とも美しい色のお酒が出された。
当時、酒を全く知らなかった僕は、とりあえず値段が怖くなり、「お幾らですか?」と財布を出しながら聞いた。
マスターは「俺は一杯飲んでけ、と言っただけで、金をとるとは言ってないこの一杯はプレゼントだ」と優しく笑った。
その後、僕はこのバーに足しげく通い、色々な人と知り合った。マスターから見ればまだまだヒヨっ子だが、大人になり、結婚もし、いつか子供とこのバーに行きたいと思っていた。
そんな矢先、マスターが亡くなった。
いつだっただろうか、常連達でしっぽり飲んでいた夜、マスターが「なんだかインターネットに店が載ったみたいで、『落ち着いたバーですね。僕好きです』みたいな若造が増えた俺はそういう客は好かないんだ。機械による巡り合わせは好かないんだ」と、愚痴っぽく言っていたことがあった。
僕も含め、何かしらおかしな巡り合わせでこの店とマスターと縁が出来た常連達は、必死にネットを探し、掲載元に記事を取り下げるように頼んだりした。
けれど、大半のところは「言論(表現)の自由だ」と取り合ってくれなかった。
そんな中、マスターが暫く店を休むと言った。
今思えば、あの頃から体調が悪かったのかも知れない。
そのまま復帰の知らせのないまま、常連仲間からマスターの訃報を聞いた。
告別式はマスターらしい、参列者の少ないものだった。
会場には見覚えのない女性が2人いて、話を聞くと離婚した元奥様と娘さんだった。
マスターは自分の話を全くしない人で、「俺は既に天涯孤独だ」と言っていたので、我々はそれが本当だとてっきり信じていた。
火葬の待ち時間、マスターの元奥さんと娘さんが「これを渡すように、と言われました」と僕に1本の酒を渡してきた。
何でも亡くなる少し前に、マスターが2人に、僕に渡すように言付けたそうだ。
具体的な商品名は控えるが、某日本メーカーのウイスキー(50年)と言えば、分かる人にはその価値がわかると思う。
何故こんなものを僕に、と混乱していると、娘さんがバーで使われていた伝票を渡してきた。
裏には走り書きの文字で、「あの日のウイスキー。あんたにあげる」そう書いてあった。
ボトルはあの日僕が飲んだ一杯から、減っていなかった。
僕は涙が止まらず、大人げなくその場に膝をついて嗚咽した。”
— 「行きつけのバー」のススメ-
『おかあさん、ぼくが生まれてごめんなさい』
2019年09月20日
作者は山田康文さん
生まれた時から全身が不自由で
書くことも話すことも出来ないまま育ちました。
はいといいえだけのコミュニケーションで
ひとつきかかって書き上げた詩なのだそうです。
『おかあさん、ぼくが生まれてごめんなさい』
ごめんなさいね おかあさん
ごめんなさいね おかあさん
ぼくが生まれて ごめんなさい
ぼくを背負う かあさんの
細いうなじに ぼくは言う
ぼくさえ 生まれてなかったら
かあさんの しらがもなかったろうね
大きくなった このぼくを
背負って歩く 悲しさも
「かたわの子だね」とふりかえる
つめたい視線に 泣くことも
ぼくさえ 生まれなかったら
母親の信子さんも、
康文さんのために詩を作りました。
わたしの息子よ ゆるしてね
わたしの息子よ ゆるしてね
このかあさんを ゆるしておくれ
お前が脳性マヒと知ったとき
ああごめんなさいと 泣きました
いっぱい いっぱい 泣きました
いつまでたっても 歩けない
お前を背負って 歩くとき
肩にくいこむ重さより
「歩きたかろうね」と 母心
"重くはない"と聞いている
あなたの心が せつなくて
わたしの息子よ ありがとう
ありがとう 息子よ
あなたのすがたを 見守って
お母さんは 生きていく
悲しいまでの がんばりと
人をいたわる ほほえみの
その笑顔で 生きている
脳性マヒの わが息子
そこに あなたがいるかぎり
このお母さんの心を受け止めるようにして、
康文さんは
先に作った詩に続く詩をまた作ります。
ありがとう おかあさん
ありがとう おかあさん
おかあさんが いるかぎり
ぼくは 生きていくのです
脳性マヒを 生きていく
やさしさこそが、大切で
悲しさこそが 美しい
そんな 人の生き方を
教えてくれた おかあさん
おかあさん
あなたがそこに いるかぎり
15歳の誕生日の直後
康文さんは
動けない身体が原因で
突然に旅立ったそうです。
これらの詩を読んだ人すべてが
康文さんの生への感謝を感じることだと思います。
生まれてきた人すべてに意味はあって
ありがとうなのだと思います。
生まれた時から全身が不自由で
書くことも話すことも出来ないまま育ちました。
はいといいえだけのコミュニケーションで
ひとつきかかって書き上げた詩なのだそうです。
『おかあさん、ぼくが生まれてごめんなさい』
ごめんなさいね おかあさん
ごめんなさいね おかあさん
ぼくが生まれて ごめんなさい
ぼくを背負う かあさんの
細いうなじに ぼくは言う
ぼくさえ 生まれてなかったら
かあさんの しらがもなかったろうね
大きくなった このぼくを
背負って歩く 悲しさも
「かたわの子だね」とふりかえる
つめたい視線に 泣くことも
ぼくさえ 生まれなかったら
母親の信子さんも、
康文さんのために詩を作りました。
わたしの息子よ ゆるしてね
わたしの息子よ ゆるしてね
このかあさんを ゆるしておくれ
お前が脳性マヒと知ったとき
ああごめんなさいと 泣きました
いっぱい いっぱい 泣きました
いつまでたっても 歩けない
お前を背負って 歩くとき
肩にくいこむ重さより
「歩きたかろうね」と 母心
"重くはない"と聞いている
あなたの心が せつなくて
わたしの息子よ ありがとう
ありがとう 息子よ
あなたのすがたを 見守って
お母さんは 生きていく
悲しいまでの がんばりと
人をいたわる ほほえみの
その笑顔で 生きている
脳性マヒの わが息子
そこに あなたがいるかぎり
このお母さんの心を受け止めるようにして、
康文さんは
先に作った詩に続く詩をまた作ります。
ありがとう おかあさん
ありがとう おかあさん
おかあさんが いるかぎり
ぼくは 生きていくのです
脳性マヒを 生きていく
やさしさこそが、大切で
悲しさこそが 美しい
そんな 人の生き方を
教えてくれた おかあさん
おかあさん
あなたがそこに いるかぎり
15歳の誕生日の直後
康文さんは
動けない身体が原因で
突然に旅立ったそうです。
これらの詩を読んだ人すべてが
康文さんの生への感謝を感じることだと思います。
生まれてきた人すべてに意味はあって
ありがとうなのだと思います。