少年時代のお話です。
上町にある福昌寺跡
いまでもそうなのですが
この付近は、自然が た~っぷり残っています。
そして、夜は人通りも少なくて 人目につきにくいです。
今では、学校の警備もあるとおもうので、そんなことはないとおもうのですが
昔はよく 犬や猫の子供が 夜の間に おいてけぼりにされていました。
近くの水源地も含めて
僕は しょっちゅう この辺で遊んでいたので
何度か、家に連れて帰っては 「飼って!」と懇願しました。
でも、当時は借家だったし、飼うだけの 広さもなかったので
あえなく却下。
どうしようか迷った僕は、近くの高校の 当時木造だった 体育倉庫に 食べ物と一緒に犬を入れていました。
学校があるときは 当然 誰かに気づかれて、すぐに どこかに連れていかれてたのですが
夏休みとか、長い休みになると なかなか気付かれなくて
毎日 食べ物やミルクを運んでいるうちに とても なかよくなれました。
でも、必ず 自分がいない間にいなくなってしまうんですよね。
その度に、一緒に食べ物を運んでいた友達と しくしく泣きながら 探していました。
そのときは、どこへ連れて行かれるのか なんて考えることはなくて
心のどこかで 僕が えさをやりにいくのが遅かったせいだとか
僕が ちゃんとドアをしめなかったせだからだとか
そんなことを 考えていたような気がします。
今だったら、処分場につれていかれるとか、そんな不吉なことが頭をよぎるのだろうけど
当時は、いなくなった=死 という考え方をしていて
そのことで、よけいに自分を責めていたようにも思います。
でも、実際は 違いました。
何度か、そんな事を繰り返しているうちに
学校の先生が、犬を抱いて近所をまわっているのをみつけました。
そして、しばらくして その犬は、近くの家で飼われていました。
たぶん、学校の先生が 飼ってくれそうな近所の家を回っていたのだと思います。
それを知った時のうれしさは、今でも忘れません。
そして、その家で飼われることになった犬とは
僕が小学校4年の時までのつきあいとなり、学校が終わっては しょっちゅう会いにいってました。
あれ、なんで こんなこと思い出したんだろう。
あたりまえだけど
自分の知らないところで
自分の大切な人や生き物、そして町を守ってくれている人がいます。
その事に気付いたときは、とてもうれしくなって
自分も誰かに何かをしたくなる。
それがくるくる回れば、きっといい世の中になるような気がします。
あっ そうか!ウミガメの話で思い出したんだった。
そういえば、竜宮城いきたいなぁ。。。